横須賀市夏島にある縄文時代早期の夏島貝塚は、日本列島の中でも最も古い(約9500年前)貝塚で、砂泥の干潟に生息するマガキとハイガイを主とした第1海層からは、魚類ではクロダイが最も多く、次いでマゴチ・スズキ・ハモが多く出土している。漁撈具としては骨類の長さ2.5cmの釣針とその未製品が出土している。すでにこの時期に釣針を使った漁撈技術が出来ていたということである。
夏島貝塚でも第一貝層より少し新しい第二貝層は、砂地の海岸に生息するハマグリやアサリを主としたものになり、海の環境が変化していったことが窺える。釣針も鹿角製で、釣糸掛用の突起のあるものや大型の釣針が出現するなど、漁撈の多様化が認められる。
横須賀市吉井にある吉井貝塚は、マガキやハイガイを主食とする早期末の貝層と、岩礁海岸に生息するスガイやイシダタミを主とする中期後半の貝層がある。
早期末の貝層は厚さが2mもあり、出土した魚骨の種類・量とも豊富で、なかでもマダイが最も多く魚全体の52%を占め、次いでボラ・クロダイ・ブリ・スズキと続く。マダイの体調は35~50cmのものが75%を占め、他の魚も大き目のものが多い。ところがこれらの魚は、時期が新しくなるにしたがって小型化する。マダイで中期の貝層から出土したものは、30~40cmのものが中心となる。
漁撈具も、数多く出土している。最も多いのが鹿の角や四肢骨などで作ったヤス先と釣針である。釣針は大型と小型のものがあり、大型のものは軸が太く長さが6cmにもなる。体調が60cmを超えるブリやマダイが多く出土していることから当然ともいえる。
ヤスはヤス先が1本のものと共に、この時期にペン先形をしたヤス先を2・3本組み合わせたものがある。また、出土したスズキの厚い鰓蓋骨の中には、ヤスで突いた痕が残るものも出土している。
三浦半島の縄文時代早期の貝塚の厚い貝層や出土した動物遺体を見ると豊かな海の幸に恵まれていたように思える。しかし、横須賀市若松町の平坂貝塚から出土した人骨に残された、11本の飢餓線や変形関節症の痕などから、不安定な厳しい生活であったことが窺える。
夏島貝塚や・平坂貝塚は「水産日本」原点とも言うべき遺跡である。貝塚を調べることによって、現在、日本の水産業が抱える問題を考えるヒントがあるようにも思える。
平成27年9月12日(土)
主催:東京都大森貝塚保存会
共催:NPO国際縄文学協会 / (社)大森倶楽部
https://www.jomon.or.jp/archives/110.html