4週間弱、日本に一時帰国していました。1年しかない貴重なフェローシップの期間中になぜほぼ一ヶ月も日本に戻っていたかというと、色々細かな用事はありましたが、最大の目的は京都で8月28日から9月2日まで行われた世界考古学会議(World Archaeological Congress)に参加するためでした。
一時帰国する前に再渡英する日にちは当然決まっていて、昨年10月末にロンドンに降り立った時にはほぼ冬だったことから逆算すると、英国に戻ってきた時にはこの爽やかな夏は終わっていて肌寒い秋になっているに違いないと思い、わざわざ湿気地獄の日本、さらにはKyoto Infernoに赴く前に風光明媚として名高いCromer海岸に行っておこうと思い立ち、一時帰国直前に行ってきました。Norwichから電車で40分ほどで着いてしまう、大きな桟橋から北海を望むことができるCromer海岸は、評判どおり素晴らしかったです。
World Archaeological Congress、通称「WAC」は人種隔離政策をとっていた国々からの英国で開催される予定だった学会への参加を認めるかどうかで研究者同士で紛糾して、人種隔離政策に異を唱える研究者たちによって発足した、考古学を通じて政治・社会問題にコミットすることを選んだ人たちが作った学会です。そのため、今、考古学が置かれている社会の現状を鑑みて、考古学の営みそのものをちょっと俯瞰した視点でみる姿勢が強いです。かつての、あるいは今でも残る先進国の考古学の帝国主義的側面、考古学におけるジェンダー間・世代間の不均衡、先住民の権利問題、開発行為と考古学の関係、考古学と地域コミュニティ、考古学と教育、考古学の倫理、考古学とアートなどが主要なテーマとなっています。では、そういうことを話し合うばかりの会なのかというとそうでもなく、WACが刊行している雑誌のタイトル、複数形の‘Archaeologies’の名のとおり、「少しでも過去を明らかにする」、多くの人がイメージするとおりの考古学の議論も行われています。
私は縄文考古学以外に近年すすめている東南アジア考古学の成果を広く共有すべく、日本・中国・インド・オランダの研究者と、古代人も現代人も魅了している綺麗な石でできた縄文時代のものも含むアジアの「玉器」や装身具について、国の枠組みを超えて議論しようというセッションを組んで参加したほか、建仁寺両足院という歴史ある建物を舞台とし、考古学者とアーチストが共同で作品を出展する‘Art & Archaeology’の企画、‘Garden of Fragments’に参加しました。縄文時代の火焔土器を模したアート作品に触れて考古学者がフィールドノートに書きつけたメモが遠い未来に発見されて掛け軸になってその作品と一緒に床の間空間を形成しました、という込み入ったコンセプトの掛け軸製作を担当しました。とは言っても、インターネットの時代、元になるデータを英国から日本に送ったのですが、額装された後はどのような感じになっているのかとても不安でした。実際のところどうだったのか、それは展示を見た人に委ねることにします。
WACはいろんな形容の仕方がありますが、様々な‘Archaeologies’を体現した膨大なセッションがそれぞれ趣向を凝らしてパビリオンを出している、考古学の万博のようなものと考えればよいでしょうか。非常に間口が広いこともあって、今回の参加者は1,500人以上とのことでした。多くのセッションが同時進行で行われていたこともあり、参加していることが分かっている知り合いに会えなかったどころか、日本開催ということで当然のように参加していたSainsbury Institute for the Study of Japanese Arts and Cultures (SISJAC)のサイモン・ケイナーさんにも会期中、顔を合わせなかったぐらいでした。
WACのお別れパーティはパフォーマンス・アートの音楽とともにありました。ピアノにヴァイオリン、地元のよさこい?の人たち、最後はDJが登場して場を盛り上げました。英国で博士号を取った日本人考古学者である現WAC会長は英国のロックバンドOasisの‘(What’s the Story) Morning Glory?’のCDをDJに託し、フィナーレとして流れたのは‘Wonderwall’でした。そして英国ノリッチに戻ってみると、まだ夏の陽気が残っていました。9月でこういう天気は珍しいそうです。