はじめに
人間は生存のために他の動物と同じく自然環境と適応関係を保っていく。人間の、この自然環境にたいする適応体系が「文化」である。これは、特定の社会の人々によって習得され、共有され、伝達される行動様式ないし生活様式の体系といってもよい。
さて、人間の文化は、発生の段階から「石」と大きくかかわってきた。人類と石器とのかかわりは250万年以上に遡るが、未加工の石の利用はさらに古く、それは約400万年以前の人類の発生にまで遡るだろう。つまり、彼らは道具を使用することで人類となったのであり、その原初的道具に石が含まれていたからである。やがて、石は加工されて石器となり、さらに建造物の素材として広く利用されるようになった。
考古学的な時代区分でいう石器時代は、ふつう旧・中・新の三期に別れるが、その最後の段階である「新石器時代」(日本ではほぼ縄文時代にあたる)に世界の各地域で、面取りや化粧仕上げなどの加工が比較的少ない大きな石を用いて作られた建造物、すなわち「巨石記念物」(megalithic monument)を特徴とする文化が生まれた。これが「巨石文化」である。
巨石記念物
巨石記念物にはいくつかの種類がある。その代表的なものとして次のようなものがある。すなわち、自然石ないし多少の加工を施して地上に立てられた単一の柱状の石である「メンヒル(立石)」。つぎに「立石群」、これには「環状立石(ストーンサークル)」と「列石(アリニュマン)がある。二基ないしそれ以上の支石で一枚の扁平の蓋板石を支えたテーブル状の構築物である「ドルメン」これには墳墓(支石墓)ドルメンと記念ドルメンとがある。なお、イースター島のモアイは巨石記念物に含められるが、ピラミッドやスフィンクス、オベリスクなどは除外される。
巨石文化の分布
この文化は、新・旧両大陸の主として沿岸部にひろく分布している。すなわち、北欧(スカンジナビア半島)からドイツのバルト海沿岸部、フランスのブルターニュ地方、対岸のイギリスのケント地方、イベリア半島の大西洋、地中海沿岸部、南フランス、イタリー半島、北アフリカの地中海沿岸部、黒海沿岸部、紅海・ペルシャ湾沿岸部、アフリカの大西洋・インド洋沿岸部、インド亜大陸のアラビア海、ベンガル湾の沿岸部、インダス・ガンジス河流域、デカン高原、ヒマラヤ山麓などの内陸部、ミャンマーのベンガル湾沿岸部、インドシナ半島の南シナ海・タイ湾沿岸部、インドネシア、オセアニア。中国の東シナ海沿岸部、中国東北部の渤海湾沿岸部、シベリア日本海沿岸部、朝鮮半島、日本列島、さらに新大陸の北・中・南アメリカの太平洋・大西洋沿岸部にわたっている。
伝播の問題
巨石文化は、上記のように南極大陸をのぞく地球の諸大陸の沿岸部に広く分布していることから、当然「伝播」の問題が浮上してくる。伝播とは文化要素が一つの文化から他の文化に移る過程をさす。
伝播論で有名なイギリスのエリオット・スミスらの太陽巨石文化移動説(人類文明エジプト起源説)は、現在受入れられていないが、巨石文化の伝播そのものを否定することは難しい。かつて「コンティキ号の冒険」を試みたトール・ヘイールダールは、日本の代表的人類学者から「エリオット・スミスの亡霊」と酷評されたが、彼の「ラー号の冒険」によってエジプトと中南米との葦船による航海の可能性が実証されたことによって伝播説は甦ったともいえる(なお、オーストリアの民族学者のハイネ=ゲレデルンは、この伝播に従事した人々を「エニシエント・マリナーズ古代航海民」と呼んだ)。
(岩手県樺山遺跡)
(坂井遺跡環状列石)
(新潟県朝日村三面遺跡)