先史学:中期旧石器時代の石器研究と後期旧石器時代の先史美術
最後に、先史学についてヨーロッパでの現状を見ることにする。
ヨーロッパでは、石器資料の豊富な後期旧石器時代よりも、謎に包まれた中期旧石器時代の研究が盛んである。ヒトの進化を説く鍵も、中期から後期旧石器時代、あるいはネアンデルタール人からクロマニヨン人への移行の文化の解明と深い関わりがあるのではないかとされているからだ。
1960年代、フランスの石器研究は、フランソワ・ボルドによるインダストリーの型式学やアンドレ・ルロワ=グーランが用いたシェーン・オペラトワール(動作連鎖、石器製作過程)に代表され、世界をリードしていた。後者のシェーン・オペラトワールとは石材採取から石器の製作や使用・破棄にいたる一連の動作をいい、ニュー・アルケオロジーの流れに対応していた。次に述べる中欧の遺跡での複雑な剥離作業におけるシェーン・オペラトワールは、35万年前からネアンデルタール人やその祖先の独創的な技術伝統があったことを示している。
IPHで教鞭をとる若手の研究者マリー=エレーヌ・モンセルは、南仏で中期旧石器時代遺跡の発掘を多数手掛けており、中欧では中期旧石器時代には珍しい細石器をも研究している。ハンガリーのタタ遺跡の石器研究をもとに、同じ時代に細石器が出土されたチェコやイタリアの遺跡を比較した。小さい石器ばかりが出土する理由として、大きな石材が近くになかったのではないかと推測できるが、チェコの遺跡には大きな石材が遺跡に持ち込まれていたので、大きな石器も制作できたはずである。
これらの遺跡にいた人類グループの特質についてのもっともな議論を紹介しよう。まず、3つの遺跡に共通しているのは、温泉源の近くに位置していることである。そこには植物が豊富にある。ウシ科、ウマ、サイ、ゾウの骨が出ており、これらの動物も通っていたのである。ここに細石器を残した人々は、温暖な間氷期で森に囲まれた特殊な恵まれた環境にあってヒトの移動が少なく、他グループとの接触が少なかったと考えられる。
この中期旧石器時代の細石器文化は、特殊な地理的条件と人間の選択がもたらしたものあった。人類進化の大きな流れの中では、このような特異な文化はあまり重視されない。だが、錯綜する中期旧石器時代の理解にあたっては、少数でも特徴的な遺跡の解明は重要である。
さて、フランスの先史学の研究対象で、その質と量において他国を寄せつけないのが、先史人の芸術活動の痕跡である。後期旧石器時代以降、芸術ジャンルのバラエティも発見数も増えつづける。旧石器時代の美術を大きく分けると、洞窟壁画と動産美術である。前者は洞窟の壁面に彩色されたあるいは線刻された動物などの絵であり、後者は動物の骨や角に線刻が施されていたり、丸彫りをして動物などの形を象ったりしたものである。
先史学が確立される前の19世紀中頃には、骨や角にマンモスなどが刻まれた動産美術が認知されるのにそれほど時間がかからなかった。というのも、それらは古い堆積層の中から発見されたので、古さを容易に推定することができた。それに反し、洞窟壁画は、発見されて10年以上もその真贋が疑われ、1900年前後にフランスでも相次いで旧石器時代洞窟壁画遺跡の事例が報告されるにあたって、ようやく洞窟壁画が認められるようになった。スペインのアルタミラ洞窟(1879年発見)、フランスのラスコー洞窟(1940年発見)と、世界に誇る美の殿堂の筆頭に挙げられる。だいたい半世紀年おきに大発見があった。それらに肩を並べるくらいの大発見が1994年にあった。それが、フランス、アルデッシュ県のショーヴェ洞窟壁画である。
ところで、壁画の年代は間接的に年代を推定するのが主流だった。次に3つの年代推定方法の例を挙げよう。1つは、壁画のある洞窟の入り口が考古遺物で長い間閉鎖されていた場合、壁画は入り口の遺物よりも古い時点のものだと推定できる。2つ目は壁面の一部あるいは全体が考古学的堆積層に埋まっている場合、堆積層よりも古い時点のものであると考えられる。そして最後に、考古学層中にあった、骨や角に動物などが刻線された動産美術と同じ様式の画像が壁面に描かれている場合、それらは同じ時期のものとみなされた。これらを総合的に、つまり洞窟壁画を考古学的地層との関係、動産美術との様式比較を行ったのが、ルロワ=グーランである。彼は、時代によって壁画の様式や技法が異なるとした。しかし、彼が作った様式比較による年代付けでは、ショーヴェ洞窟壁画の、一風変わっていて少し進んで見える様式は、比較的新しい時代のものと考えられるようになってしまう。ところが、次に紹介する直接年代測定法であるAMS法によって、それらが洞窟壁画の伝統の中でも最も古い時期、つまり30000~32000年前に属するとされた。
1990年代になると、洞窟壁画研究でも自然科学と人間科学が合同で行った研究を次々と発表するようになる。壁画への年代測定の適用が主立った例である。それまでは放射性年代測定には多量の試料を必要とするため、顔料摘出の際に伴う壁画の破壊を恐れて、直接年代測定は行われていなかった。しかし、AMS法(加速器質量分析法)によって放射性炭素14の分析が微量の試料、つまりわずか1~10ミリグラム、ちなみに従来の測定法の数百分の一の量で測定できるようになった。ニオー洞窟にはサロン・ノワールといわれる大きな洞室がある。そこには様式的に類似した動物像が描かれているので、すべてが同時代、つまりマドレーヌ文化中期のものとされた。AMS法法によって、その洞室の画像五つから年代が得られた。12000年前と13000年前の間に測定結果が集中していた。その結果は一見妥当のように思われるが、出された年代の下限と上限の間、には少なくとも800年もの開きがある。AMS法では、増幅のプロセスにおいて試料が変質するので誤差が大きくなる。
また、ニオーの壁画から、木炭に含まれる画面に顔料を定着させるための媒介物(つなぎ)を走査型電子顕微鏡で観察すると、顔料と定着剤の配合方法に3通りあることが分かった。意外にも、一見均質的な様式化された動物像は、同じ手続きで描かれていないのであった。近年の調査によってつぎつぎと新たな疑問を産み出している。
50年以上前に炭素14による放射性年代測定法が確立されたが、1990年代になるとその修正(カリブレイション)が盛んに行われた。というのも、年輪年代分析法との比較、一定でない宇宙線の流れ、地球の磁気の強度の違いによって、地球上の炭素14の含有量が異なり、この放射性年代測定法で得られるデータが左右されていることがわかったからだ。年輪年代分析法によって現在から11400年前まで、サンゴの年代分析法によって11000から20000年前まで、古磁気の強度の再構築によって20000年以前がカリブレイションされた。その結果、10000年前頃のデータは1000年くらい、20000年前は2500年ほど、2~30000年前は3500年ほど若がえることがわかった。さらにさかのぼると、誤差は減少し、30000~35000年前は2500年若くし、そして45000~50000年前には誤差がほとんど出なくなる。考古遺物の年代推定にはこういったカリブレイションの問題も見逃せない。
以上のように、美術研究にも直接年代測定法、絵の具の成分研究など他の研究分野との共同が盛んに行われ、そして定着したのがここ15年くらいの傾向である。ただ、慎重な年代測定研究者の中には、放射性年代測定法の精度は20年後にはさらに改良されると予想されるため、今、測定データをただやたらに多く集積すればいいというものではないと唱える者もいる。今後の科学の発展に期待を寄せている。
おわりに
フランスの先史考古学とはいっても、古人類学、考古動物学、石器研究については、フランス以外の遺跡でのIPHの活動報告を中心に述べた。筆者が専門とする洞窟壁画については、IPHに限らずフランス全体の研究の流れをまとめてみた。各分野間の学際的方向や研究傾向が少しでも伝わることを願っている。
『縄文ジャーナル第4号・2004夏』より転載
参考文献
• 小川勝、「フランコ=カンタブリア美術の年代決定と様式展開(その1)《、『鳴門教育大学研究紀要』(芸術編)、第9巻、1994年、33-47ぺージ。
• 小川勝、「ショーヴェの洞窟壁画:新発見の作品とAMS法による年代の問題点《、『鳴門教育大学研究紀要』(芸術編)、第12巻、1997年、23-36ぺージ。
• 横山祐之、『人類の起原を探る ヨーロッパの発掘現場から』、朝日選書338、朝日新聞社、1987年。
• J. Clottes,Les Cavernes de Niaux, Seuil, 1995.
• J. Clottes,La grotte Chauvet. L’Art des Origines, Seuil, 2001.
• M. Menu & P. Walter, 《La preparation des peintures magdaleniennes des caverns ariegeoises 》, in Bulletin de la Societe prehistorique francaise, n° 6, t. LXXXVII, 1990.
• M-H, Moncel, 《 Tata (Hongrie). Un assemblage microlithique du debut du Pleistocene superieur en Europe Centrale 》, in L’Anthropologie, n° 1, Vol. 107, 2001.
• Dictionnaire de la Prehistoire, Encyclopaedia Universalis, Albein Michel, 1999
• L’Anthropologie, 2001, Vol. 105; Paris : 2002, Vol. 106, pp.41-55 ; 2003, Vol. 107, pp.1-14.
五十嵐 ジャンヌ(いがらし・じゃんぬ)
早稲田大学オープン教育センター非常勤講師
1968年千葉県生まれ
フランス国立自然博物館先史学博士号取得
フランス、スペインの旧石器時代洞窟壁画を研究