International Jomon Cultuer Conferrence|縄文土器/土偶/貝塚/勾玉など縄文時代/縄文人の文化を探求する考古学団体 (▼△▼)/

■ 『日月を放つ縄文の巨木柱列・4』 萩原秀三郎


(写真1)
河娒渡遺跡の耳輪・耳栓。こういうものが日本の縄文前期に大流行します。両耳に使うものですから一対になっています。

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(写真2)
河娒渡遺跡の木製遺物。穴が何箇所が開いているのは、シャーマンが首から下げていたと考えられています。鳥と太陽の絵。既に鳥は鳳凰のように具象化された形になっています。シャーマンは太陽を支配していた。

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(写真3)
三星堆の巨大神樹。このように鳥が太陽を表して次々飛び立っていく様子を表しています。ここに描かれてるのは龍です。一番下にヘビの形で、水界を表している。

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(写真4)
これは中国南部楚の方からの影響もある図。太陽の木と月の木。鳥が停まっていて、花が咲いているのは太陽です。ここから飛び立ったんですね。弓矢を持って鳥を射落としてるのがありますが、これはある時、余分な太陽が出て、その太陽を射落とし、秩序を整えています。多過ぎても困るので。月の場合も同じようなことやります。

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(写真5)
これはミャオ族がヘソを、村の中心のヘソがこうなるんですね。これは龍があって、上に鳥が止まって、真東を向いています。春分、秋分の太陽を迎えるようになっているんです。なぜかというと、年の折り目はいつも春分と秋分にある。これが終わってお正月がくる。人々は皆、鳥の格好をしています。それは、神霊はみんな飛来するからです。

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