話の順序が逆になりますけど、真虫―虫の中の虫、平安時代の人なんかでもマムシという名前の人が実際にいるわけですけど、そういう虫の中のナンバー1の虫という名、この虫のムスというのは苔むすのムスと語源的には同じ。ムスは、産むすという言葉からムスという言葉が出て、そこから虫・ムシという言葉が出てきたわけですけど、何もないところから発生するように見えるのがムシ。虫が湧くという言い方もあるわけですけど、そういう虫の中のチャンピオンとしてのマムシ。そういうヘビに対する信仰がたぶんあったのではないかということが言えるわけです。
縄文時代に確かにヘビがあったわけですけれど、縄文以降というか、文献的には『古事記』、『日本書紀』、『風土記』などを見るとヘビというのはしょっちゅう登場してくるわけです。一番古代の部分では神話の中ではヤマタノヲロチという大蛇が出てくるわけですが、このヤマタノヲロチに対して、レジュメ中にも少し書いておきましたけど、『古事記』ではヤマタノヲロチの条りに「目はアカカガチのごとくにして」と出てくるわけです。このアカカガチというのは古事記の文庫本に注がついてて、タンバホオズキであると書いてあるわけです。ほおずきですから赤いわけですね。ヤマタノヲロチの目がアカカガチの目のように赤く光っていたということになるわけです。で、なぜ赤く光ってたかと言うと、斐伊ひい川の上流では山を崩して砂鉄を掘っている。山の木で炭を焼いてその砂鉄と炭でタタラ製鉄を営んでいたわけです。そのためにその土砂が一種の古代の公害、川の中に流出する。上流の産鉄民と下流の農耕民との間の対立抗争を描いたのがヤマタノヲロチ伝説だというふうに言われているわけです。そのアカカガチというのは古代のタタラの木が燃えている状態だというふうにいわれているわけです。
ところで、アカカガチとよく似た言葉にカガシという言葉がある。ヤマカガシというヘビがいまして、ついこの間も岡山か鳥取でツチノコ騒動、ツチノコ騒動というのはしょっちゅう起きていて、今度のは本当だろうと言われたのが、やはりヤマカガシだった。カガシというヘビがいるわけで、そのカガシとカガチが音韻上も似ている一方、ヘビというのは斐伊川のうねった形をヤマタノヲロチだと捉えたのかもしれません。それと、古代の製鉄技術とヘビ、剣が非常に絡んでくるというふうに思われます。それは『常陸国風土記』にもそういう箇所が出てきます。
ヘビという言葉の古形はどういうものであろうか。斎部広成の『古語拾遺』だとハハなんですけど、一般的にはヘビの古い形はヘミだと言われています。そのヘミのもっと古い形はミだと。ところで、現在は滋賀県立大学教授で、以前は民博の教授をされていた崎山理(さきやまおさむ)さんという言語学者がいらっしゃいます。その方が三内丸山の展示場で縄文語を復活させました。僕は直接三内丸山には行った事がないのでわかりませんが、過日インターネットで「縄文・三内丸山」というふうに入れて検索してみたところ出てきまして、その縄文語が聞けるんです。不思議なことに、僕がよく言葉の問題をやりますと、知ったかぶりする人は甲類だ、乙類だというようなことを言い出して、甲類と乙類では明らかに違うと言うんですが、甲類も乙類ももともとは同じで分かれたと思っています。それで甲類、乙類の発音がどんなものだったかというのは推測は出来ますが、実際にはその時代にタイムマシンででも行って聞かない限りは絶対わからないわけです。そういう意味では縄文語など絶対わかるわけないのですが、いちおう復元しておられます。例えば、「アバ ウモボ パムリブム」「ナバ ブイボ パプリブム」どういう意味だかわかります?僕は音を聞かなくてもそれがわかりました。「アバ ウモボ パブリブム――私はイモを食べます」「ナバ ブイボ パプリブン――あなたはイノシシを食べます」。イモがウモ。沖縄なんかと同じです。音韻変化している。アバ――私、です。アバ=私、というのはかなり常識的に知られてますし、現代でも私が住んでいた青ヶ島では自分のことは「ア」なわけです。例えば、「アゲェオジャロゴン」と言った場合にわかりますか?「ア」は私。格助詞の「ガ」と、「ゲ」の部分は家なんですがくっ付いています。「私の家に来ませんか?」、「カモナマイハウス」という歌が戦後流行りましたけど、「私の家に来ませんか?」という意味です。「アゲェオジャロゴン」。そういう「ア」なわけです。さらに見ていくと「アヤバ ワタボ ミリブム――父は海を見ます」、「イネバ ダマボ ミリブム――母は山を見ます」、「アバ ダマニ イドゥグリブム――私は山に行きます」、「ナバ ワタニ イドゥグリブム――あなたは海に行きます」、「アヤバ ダマドゥ ムドゥリブム――父は山から帰ります」、「イネバ ワタドゥ ムドゥリブム――母は海から帰ります」とこれだけの文章の発音で出てきて、女の人が発音しているのがあります。それから家=ダー、土器=グリ、木=クィ。木=コイと書いてありますが、クィって発音しています。栗=クリ、ひょうたん=ピサというふうになってます。その他にも発音はないんですが書いてあるのもあります。それによると崎山さんの縄文語ではヘビ=ムイになっている。
ムイというのはこういう場合はローマ字で書いた方がよくわかる。〔mui〕。実際行ったわけでないからわからないけれど、言語学的には三内丸山の崎山先生が復元した縄文語は約5000年前の日本語というか縄文語なわけです。これを見ると基本的には今の日本語から祖形を考えているわけですが、音韻変化とかいろんなことを検討し、オーストロネシア語の単語なんかも使っているわけです。オーストロネシア語というのは、普通には南島語という意味です。どの辺の言葉かというと、いわゆるミクロネシアだ、ポリネシアだ、ミラネシアだ、という~ネシアがつく南太平洋の言葉の共通している部分があるわけです。特にメインはインドネシア語とマレーシア語、これはほとんど同じなんですが、インドネシアの方はオランダの植民地になった影響でオランダ語の影響を受けています、元は同じなわけです。台湾の高砂族というか、彼らの言葉も広い意味ではインドネシア語の系統ですし、フィリピンのタガログ語なというのも本来そうです。ただ、現在のタガログ語はほとんど単語的には8割ぐらいスペイン語という感じです。そういう、だけれど文法的にはオーストロネシア語になっているわけです。オーストロネシア語の共通した単語の部分の語幹、頭の部分、これを日本語的な音韻の変化を推測して、復元して、さらに祖形としてのオーストロネシア語を復元して、それをもう一度日本語的に直して使っているようなんです。たとえば、家のことをダーというわけです。実は、ダ行とラ行の音韻は転換しやすく、ラ音はその後日本語ではY音に変わるわけです。だからヤなわけです。家はその通りなわけで、全然不思議ではないわけです。ひょうたんのことをピサだというからかなり違うのではないかなと思いますが、ヒサゴという言葉が現在でも残っているわけですし、h音は古くはp音ですからヒサがピサだというふうに言えるわけで、しかもオーストロネシア語でピサというか、ピサンがバナナを意味するそうなんです。そういう意味では日本語の先祖は南島語の系統ではなかっただろうかというのが最近南島語、オーストロネシア語説の方が非常に強くなっています。ちなみに崎山先生も含めて、もともとはみんなアルタイ系言語学者だったのですが、なぜかみんなオーストロネシア語に言葉は悪いですけど「転向」しているといえると思います。つまり日本語はどちらかというと大陸系統の言語ではなくて、南太平洋の方の言語にたぶん近いというふうに考えられて、それで作られている。縄文語というのはそこで聞けるようになっているわけですが、その〔mui〕がヘビというわけです。ムイという発音になるのだと思いますが、これが普通にムイと発音して、上にカがくっつくとカムイになるわけです。
カムイになるとこれはアイヌ語の神そのものです。よくアイヌ語のカムイという言葉が日本語の神からカムイになったとか、いや日本語の神というのが実はアイヌ語のカムイからなったんだとかいろいろ説があるわけですけども、どっちでも僕はいいじゃないかと思います。いずれにしても非常に近いと思っていますので。ちなみに古い形のヘミのミは、ミの甲類です。神のミはミの乙類である。だから、今までのうるさい国語学者や言語学者ですと、ヘミのミと神のミは発音が違うからこれは違うんだというふうにたぶんおっしゃられるんだと思います。ちなみに乙類の方というのは、縄文ウムラウト(ゲルマン語派に多くみられる母音交替)のたぶん末裔だと私は思っています。カムイはカ・ムイだったのではないかなと言うのが私の推測です。これ本当かどうか分かりませんが、そういうふうに思えるわけです。寒冷地帯の人が〔mui〕を発音すると、〔mui〕とウムラウト化する傾向があり、この場合の〔mui〕は乙類ミとほとんど同じです。