International Jomon Cultuer Conferrence|縄文土器/土偶/貝塚/勾玉など縄文時代/縄文人の文化を探求する考古学団体 (▼△▼)/

■ 『縄文時代の信仰について・6』 菅田正昭


 それとですね、非常に不思議なのは『常陸風土記』の香島の郡こほりに――カシマといっても今の鹿島神宮の鹿島じゃなくて、読んで字のごとく鹿島・香取は本来、川を挟んでひとつの地域のわけです。その香島の中に軽野の里があります。カルノというふうにルビが振ってありますね。香島の郡のところに「郡の南20里に、浜の里あり、東の松山の中に一つの大きなる沼あり寒田といふ。四五里ばかりなり。鯉、鮒、住めり。え万と軽野との二つの里にあるところの田、少しく潤ふ。軽野の東の大海の浜辺に流れ着ける大船あり、長さ一十五丈、広さ一丈余り。朽ちて枯れて砂に埋もり、今なお遺れり」とあります。これもカノウと読むことが出来るんで、これは偶然に流れ着いたと言っているけれど、この辺でたぶん作った可能性がある。というふうに私は思うわけです。で、実はこのちょっと前にこういう記述があります。「それ若松の浦は、すなはち常陸と下総との二つの国の境なり、安是あぜの海にある沙鉄は、剣を造るに大きに利し。然れども香島の神山なれば、すなはち入りて松を伐り、鉄を穿ることは得ざるなり」ということで鹿島神宮の神山があるためにそこの松を切ってそれを材料にしてタタラ製鉄を作ることは出来ない、というふうに書かれているわけです。実際、鹿島神宮と現在ある霞ヶ浦の、あの中間のところには古代の産鉄地帯で、実はそこに居るのがオウ族です。多氏の一族がいるわけです。この一族のたぶん分派が例の行田稲荷山の鉄剣にもオウの名が出てくるんですが、そういうものがいる。鍛人(カヌチ)がいたのです。おそらく寒田のサムも鉄のサビを意味しています。

 この土地に星神のミカボシがいた。別名カガセヲといいますけれど、アメノカガセヲ=香香背男。輝く、かぐや姫のカガです。輝く。いずれにしてもアマツミカボシにしても、カガセヲにしてもホシガミ系統のアマツ神だというふうに思われるわけですけど、そういうものがいたわけです。このカガセオウというのはお話があちこちバーンと飛びますけれど、ここに書いたんですが、スサノヲがヤマタノヲロチの中から退治した時に出てきたのが後にヤマトタケルノミコトが東国遠征の際に使った草薙の剣なんですが、そのトツカノツルギの別名を天羽々斬(アメノハハキリ)といい、「古語に、大蛇を羽々と謂ふ」との『古語拾遺』の記述はそれを受けて書いているわけです。そのトツカノツルギが別名アメノハハキリという、ということで、このアメノハハキリ=アラハバキだというふうに捉える人も実際いるわけで。古代の産鉄と縄文系の人との繋がりが視えるような気がします。この辺が非常に難しい問題ですけど、ずーっと絡んでくるんですよね。実はホシガミカガセヲが退治されたときに使われている剣も実は同じ名前を持っている。『常陸風土記』とか読んで、あと鹿島神宮周辺の伝説を読んでいくと、天孫降臨の場面では我々はふつう出雲の地が天孫に滅ぼされたという感じを受けるんですが、そうじゃなくて常陸になっているんですね。場所がね。

 ただそのときに中心になったのが藤原氏の先祖だったということで、藤原氏の出身が鹿島だったということが言えるわけなんですけども、その天孫降臨の先発隊として天下った神の中に建たけ葉は槌づちの命みことというのがいるわけです。鹿島神宮の摂社として祀られているわけです。鹿島神宮の神域に入って一番小さいけれど一番ど真ん中に、参道の道のぶつかったとこにある社がこの神様です。摂社であることから、これが地主神だというふうに言われています。この神が討ち取った方なのか、討ち取られた方なのか、実際はよくわからないと思うんですね。ひょっとすると討ち取った神であり、討ち取られた神であるという二重構造になってる可能性も非常にあるんじゃないかなというふうに思うわけです。タケハヅチに討ち取られたことになっているカガセヲのカガとヤマタノヲロチのところで出てきたカガシ、カガチのカガというのは、やはりどこかで通底してくるではないかというふうに思います。今は一月ですが、あと半月と少し経つと、節分になる。青ヶ島の節分行事にフンクサというのがあります。島ではササヨと呼ばれている青臭い魚があるんですが、そのササヨを切り身にして、本来は囲炉裏なんですけど、今囲炉裏がある家がないんで、七輪を持って、その専門の社人が家々を巡ってやるんですが、フンクサの祭文というのがある。箸で魚を掴んで七輪で焼くわけです。「フーンクサ」、「フーンクサ」(「フーン」のときに箸で魚をつまんで七輪であぶって焼くしぐさ、「クサ」のときいかにも臭そうに嗅ぐしぐさをする)と言いながら「年の始めの年神様にやきやかしをしてお願い申す、カンモが千俵、万俵いってもかまって候。フーンクサ、トビヨ(飛魚)千本、万本とれてもかまって候。フーンクサ。鶴は千年、亀は万年、浦島太郎は百六つ。三浦大介八千年、海老の腰は七曲り。ここの亭主は九十九まで」。なんて言って、「あんど?」「今九十九?」「そごんだいどうばもう終わりそうじゃ」など言ってとぼけてね、まあ、いろいろバリュエーションがあるわけですけど、まあ目出度いことを付け加えて即興でやるフンクサというのがある。この中に「年の始めの年神様にやきやかしをして」と言う言葉があるんです。この「焼きやかし」という言葉は、「焼き嗅し(ヤキカガシ)」として、岩波の古語辞典にも載ってます。よくイワシの頭も信心からと言われますが、節分のときに魚の頭というか、そういうのを飾ってある家が今でもありますね。フーンクサ、つまり臭いもので邪気を払うというか、脅かすわけです。この焼き嗅しと、これがどっかで繋がってくるんだと思うのです。この嗅しとヘビのカガシがたぶんイコールで、それと案山子もたぶんイコールであるというふうに思うんです。で、案山子というのは、今は人形みたいになって、案山子自体が無くなっちゃて珍しいものになりつつあります。僕は昭和20年生まれですけれど、昭和三十、三十二、三十三年くらいまで大田区池上の、我家の裏側には田圃があって、案山子もやっぱり立っていたわけです。案山子は確かに人形みたいな形になってますけれど、古い形は、あれは御幣なわけですよね。つまり田の神様をあそこで立てていたのが変わってきちゃうわけです。つまり、もっと簡単なというか、場合によっては竹を刺してある状態ですよね。いずれにしても神のミテグラ(幣)というか、依代(ヨリシロ)というか、そういうものはおそらく案山子と元は同じであったと思うわけです。そういう案山子はたぶん田圃だけじゃなくて畑も含めてですね、農作物の収穫の頃にネズミとか、そういうものがやって来ると、それを追い払うのはヘビだったわけです。ネズミがいればヘビが追っかけて来るわけです。そういう意味ではヘビは実は田圃の神であった可能性があると思うんですね。つまり案山子はひょっとするとヘビの神だった。もちろん山田の案山子の出てくる、あのヒキガエルの久延毘くえび古こになると、まったく逆になっちゃいますけど。特にマムシの場合、青田には、マムシがいる可能性ってのはあるわけです。たぶんそういうものが全部どっかで、カガシ、案山子、カガセヲ、かぐや姫の嗅ぐ、カガも含めて、どっかでみんな繋がってるんじゃないか、もちろん語源的に繋がりがあるかというのは別としてですね、古代人が一種のアナロジー的に考えてもそういうものをひとつ一まとめにして考えていた可能性はあるんじゃないかなというふうに思うわけです。

どうもありがとうございました。(終)

菅田正昭
民俗宗教史・離島政策文化フォーラム共同代表

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